わたしの3・11とその後

東日本大震災が発生してからもう10年。あっという間すぎて実感がないけど、あの日のことは今でも鮮明に覚えています。

delicate cherry blossoms on twigs under blue sky

当時、サーフィンに関わる仕事をしていましてこの日もそろそろ出かけようかという頃でした。リビングに降りて付いていたテレビを見ると津波の映像が。最初は理解が出来なくて、津波かとわかった後も海外のことだと思ってた。けど、そうではなかった。

関東の本社に連絡を取ろうにも電話は繋がらず、ようやく取れたのは数日後。東北沖で起った地震で発表された津波警報は全国が対象となりました。これは本当に異常事態。しばらく仕事はお休みして自宅待機となりました。

この年、JPSA日本サーフィン連盟のプロトライアルを受けるためにアマチュア登録をしたところで、初戦の茨城県での開催をめぐり色々と議論がありました。一瞬の迷いがあったものの私は出場することを選びました。この判断に顔を曇らせる方もおりましたが、主催者がやると言ったらあとは自己責任ですし、この決断に対して後悔はありません。一緒に行ってくださったKさんには今でも感謝しています。
行こうと思った理由の一つはテレビやネットで流れてくる情報ではなく、自分の目で確かめたかったから。この大会に出向くことで移動と飲食と宿泊をすることで少しでも復興に繋がるのならとの思いです。
それともう一つは知人に会いたかった。

試合会場となった鉾田市には前年にも訪れていて、だからこそどうなったのかを見たかった。実際は家の半壊や全壊が多く見られ、ビーチに出るまでの路地の道も陥没している状態。当時、地元の方々からも相当色んな意見があったと思います。それでも最終的に会場を提供して頂いたことは本当にありがたかったです。
そして、当時まだアマチュアとして出場していた知人に会えたこと。地震当日お昼頃に彼女はブログで「今海上がったところ。」と海の側にいたから。その後ブログの更新がなく被害に遭ってしまったのかと思っていたけど数日後無事の報告をもらいました。その彼女の顔が見たかった。文章上での「大丈夫」はまったく信じれなくて、顔を見て、声を聞いて安心したかったのです。大会当日にも余震があり、サイレンが鳴り、どことなく心がふわふわしていました。

この地震による津波で家族を失った方はとても多く、未だに戻って来られない方も多いと聞きます。昨夜、ご家族の元にご遺骨が帰ったとのニュースを見ました。何年経ってもいい。戻ってくれさえすればいい。いつまでも帰って来てくれないと心の整理がつかない。明日にでもふらりと戻ってくるんじゃないかって思うのです。
私の父は海で亡くなり、しばらく行方不明で事故から3週間後にようやく発見されました。あてもなく捜索を続けるという作業がどれほどのものか痛いほどわかります。

自然災害故にどうしても避けられないこともありますが、過信しないこと、災害に対しての知識を積極的に得る努力をすること、そして発信すること。
これは今後も続けていこうと思います。